手を差し伸べただけ憎まれるなら差し伸べない方がいいのか
私はツイッターで回ってきたツイートに心臓貫かれて血を流してしばらく倒れていた。
弁護士になって最初の4年間くらいひたすら法テラス案件をやっていて、そのときの経験から「困っている人間や追い詰められた人間は、自分の姿を見ようともしない人間より、手を差し伸べてくれた人間の施しの不十分さを憎む」のだなぁと感じることがそこそこある。
— ノースライム (@noooooooorth) 2018年1月26日
「そうだね!?」と思い当たるフシがありすぎてショック。いやそれは何故なのか、「よしじゃあもう手を差し伸べない」ってもんでもなかろう、とじんねり考えていた。
私はここ10年人生を削って立ち消えそうな人生をフォローしてきた人が3人いるけど、
- 私がもっと献身しないことを責める
- 数年にわたる一連の出来事を丸ごと忘れる
- 「私がアンタを支えてやってたんだろ」と言われる
- 「これ以上は私が潰れる」という話を聞き入れてくれない
こんなんばっかりや
うち二人は家族なんだけどね!
結果的に全員脳に障害あって感情も記憶もどうかしちゃうようでしょうがないとこあるし、別に感謝されたくてやっていた訳ではないから彼らが生きてるだけで後悔はするまいと思ってるけども。
彼らは私が自分の望む100に至らないことを「あとこんなに足りない、ひどい」と言うばかりで、底なしに人生を吸いとられる感覚がした。いまや友好関係を持てていない。後ろ足で砂をかけるように悪口言ってどっか行った。
最初から当たり障りない距離で手を出さずにいた方が文句を言われなかったし嫌いにならずに済んだし近くにいられたんだろなと思う。
怖いことに、自分が追い詰められた時も身近な人にこそ「こうしてくれたらいいのに」と思っていた。「死にそうで助けを求めてるのに放置かー私の命より自分の人生を惜しむんだな、分かるわー私だって人の人生より自分の人生だもん、でもこの人にに見殺しにされるのきついわー……」
相手の行動にとやかく言う権利はないのは分かってるので口にこそ出さないが、あなたに助けてほしかった、のに、という思いはどうしても強く残った。
元々期待してない相手には思わない。知らない人や仲良くない人がひょっこり来て良いサポートをしてくれたらそりゃラッキーだけど、プロでもなければほとんどはダメージを貰うだけだ。生活の中、自分の心の中に居る人の理解と協力を得たい。それは自然な気持ちだと思う。
だからまあ「親切なんぞすればするほど文句が出る」というよりは「身近に思っているからこそ期待値が上がる、甘えている、ので失望も大きい」という面があると思っている。
後者も難儀な話なのだけど、今までやってきたことを本人達に無下にされてきた虚無感で頼ることも頼られることもできなくなりそうな私にとっては、まだこっちの方が報われる気がする。
だから答えたいと思った甘えには答えて、「何にせよ力になりたい」と思えば手を伸ばし、「不満を返されるのでは身が持たない」と思えば距離を置く。
ろくな結果にならないかもしれぬと踏まえたうえで自分がどうしたいかでやってくしかないんだよなーというとりあえずの結論でした。