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自分のための思考整理

「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」感想

読んだきっかけ:信田さよ子さんを頼って

母娘問題に今正に悩んでいるので……母と一緒にいたらストレスで私が死ぬと思った(それとは別件で母いま失踪してるんですけどまあそれは置いといて)(帰ってこなかったらこなかったで母との関係を整理できてないことに余計苦しむと思うので整理しておきたい)

ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」を見て、母娘問題が人生や生死の関わる次元の重さになること、それはとても分かりにくく、そうそう簡単に解決しやしないこと、「そうなんだよー!」と思ってた。

そんでこのドラマの心理考証をされてた信田さよ子さんの本も読もうとして、何冊も出されている中でも心当たりがあったのがこのタイトルていう。

内容:母娘問題の実例、対策など

色んな母娘問題・その対応と経過の実例、娘はこれからどうしたらいいのか、とか。

多分ただ墓守りをしてる女性を墓守娘と呼ぶのではなくて。他の可能性や、本人の意思や、どうあれ一人でも生きられる力を持つ必要性、そういうのを有害なレベルで潰されたり、依存されたり、依存させられたりとかいうケースの娘のことかと。

日本の母の愛や家族幻想はひどくて、それが隠れ蓑になって墓守娘は本当に生き辛く、下手に主張すれば潰されかねない。そこまで踏まえて墓守娘が生き延びるための助言を下さっている。心強い味方を初めて得た気分。

墓守娘はどうしたらいいか

そんでエートいつも「なになにどうしたらいいの!? 教えて!!」って思いながら読むのに時間経つとほんと忘れるので対策メモる

罪悪感は必要経費

罪悪感をゼロにする、感じなくするという目標設定そのものが達成不可能に思える。むしろ、こう考えてみたらどうだろう。罪悪感はこれからの人生を生きていくための必要経費である、と。

ほんとのところ親の介護や墓守って100%放置して何かあっても「私は関係ないです!」って清々しく言っては許されないとこあるし、自分の中でも義務感や介護してあげたい部分はゼロではない。

でも介護って場合によってただごとじゃなくて、人生や心身の健康を犠牲にしないとできないケースもあるので、「自分を犠牲にしてでもやれよ」と誰かが強制できることでもないと思う。

そのグレーな部分の罪悪感はもう、しょうがないんだな。有るものなんだ。

仲間を作る

世間の理解度は極めて低く、「母の行動は愛ゆえで、娘の不満は未熟さとわがまま」ととられかねない。自分でもそう思ってしまいかねないので、理解あるコミュニティに属することがとても大事と。

ハイハイ属したいです! そんでコミュニティどこ!?

田舎なのでまあネットには何かしらあるだろうと検索。こういう時検索する言葉が大事なのだけど何がいいんだろう。

毒親」は一方的に親を悪と断じる言葉から必要以上の攻撃、または発言者への非難の強い概念な気はするのだけど、一番探しやすいのはこれなのかな……子供側で「毒親」という言葉遣いを意識的に避けてる人結構見かける。

今回の母娘の関係性に限定すれば世間的にしっくり伝わる端的な言葉が思い浮かばない。だからこそ「墓守娘」という言葉が出てきたのかな。後は母娘問題……アダルトチルドレン……もう「信田さよ子」とか信田さんの書名検索とかの方が絞れそうな……

お金出してカウンセリングが一番早いかな……

理解されることを諦める

泣くか怒るかしたくなるほど話が噛み合わない時がある母。意見が合わないのでなく会話が成り立たない、会話のキャッチボールをしようとしたらサッカーボール飛んできたみたいな。

やっぱりどうしても理解してほしいと思っていたこと、それでも無理だと覚悟した方がいいことに気付いた。

「お母様に直接伝えたい気持ちはよくわかります。でもそれをストレートにぶつけてもおそらくあなたがもっと傷つくだけかもしれません。まして外の世界でそれを言えば潰されるかもしれませんから」

マイノリティに必要なことは、マジョリティに無闇に抵抗したり怒りをぶちまけることではない。とにかくつぶされずに生きのびることだ。

母にも他の人にも理解されたい。いやデフォルトで誤解されてるので冗談じゃないと説明したい。「お墓守ってくれるんでしょう」「なんてわがままな娘」「親子仲いいよね」「あんなに娘想いの良いお母さんなのに」

でも一般的に潰されるのだそうだわ、そうじゃないと思いたいけどもうアラフォーまで生きてきて「善意で安易に潰される」と思うことばかりだった。実感のない人にこの話は本当に伝わりにくい。

NOと言う

ポイントは丁寧なことばづかいをすることだ。

アイ・メッセージで伝えるのも一つだ。「私には今無理です」「私にはできません」とゆっくりはっきり伝える。

もう一つはここで私が「けっこうです」などとお断りすれば、母は傷ついてしまうだろう、という思いやりである。母親たちはそれを織り込みずみのはずだ。娘はきっと拒否しないだろう、なぜなら拒否したら私が傷ついてしまうしそんなひどいことは絶対しないに違いないと。これを思い上がりという。

NOと言うことが一歩一歩距離を空けていくことになるのかなと思う。構わずぴったりついてくる追手もいるけどね~……

私の弁当を作ることを何十回断って怒って泣いて話がついたと思っても翌朝何ごともなかったかのように弁当が作ってある恐怖、あのホラーをどうにかしたい。母の創作活動として楽しそうだったから諦めてたけど、断って今度作られても食べないくらいにしよう。

まとめ:数少ない理解者としての本

「もしかして私……墓守娘……!?」という無自覚の墓守娘、「こんなことを思ってはいけないんじゃないか」「この世に味方なんかいないんじゃないか」という人の大きな助けになると思う。ていうか私がそれや……こういうカウンセリング受けたい……仲間ホシイ……(仲間になりたそうなスライムの顔で)

↓もう読まざるをえまい……!という続編?もあるのでまた読む。